「「美的(感性的)なもの(the aesthetic)」の分析美学」
西村 清和(東京大学)
「美学(aesthetics)」とは、もっとも一般的に定義すれば、「美的な感性」をめぐる哲学的反省である。もちろん「美学」の歴史は、その名付け親であるバウムガルテン以来、それがなによりも「感性的認識の完全性」としての美とそれを具現する芸術の学であることを示している。これに対して近年、この狭義の美学をよりひろく「感性学」として捉えなおし、この学のあたらしい可能性を模索する動きが、内外で目だっている。だがそうなればいっそう、この学の根幹にかかわる難問が顕在化するのも事実である。それはつまり、この学が名にし負う「美的なもの」とは、そもそもなんであるかという問題である。「美的なもの」をめぐる議論については、アングロ・サクソンの分析美学には相当量の蓄積がある。しかも依然としてこれは、難問たることをやめていない。70年代以降盛んになった自然の美的鑑賞や環境美学においても、また90年代以降にわかに激しさを増した美的な価値と倫理的な価値の関係をめぐる論争においても、これらの議論の混乱はあげて「美的」という概念のあいまいさに起因している。
わたしはこの機会に、「美的なもの」をめぐるいくつかの論点をとりあげて、より経験に即した議論の可能性を提示したいと思う。
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