発表題目:ファイル説の論駁

森永 豊(東京大学)

 ファイル説とは、ひとが特定の対象を思考するときに、その対象が思考においてどのように表象されているかを説明する理論である。ファイル説論者のフランソワーズ・レカナッティ(François Recanati)は、新しい著書 (Mental Files (2012))において、ここ数年の間に出されたファイル説に対する反論に応答している。本発表のテーマは、この応答の成否を検討することである。
 心的ファイル(mental file)とは、主体が個別の対象について蓄える情報の束のことである。たとえば、東京タワーから知覚や伝聞を介して得た情報(「港区にある」など)の束は、「東京タワー」の見出しを持った心的ファイルである。一般に心的ファイルは、単称名辞の指示対象から主体への情報の流路を為す因果関係のトークンによって個別化される。このように関係性に着目して心的ファイルを特徴づけることで、心的ファイルが同一の対象に関係しながら数的に異なったものであることが可能性となる。
 このアイデアによってde re的な思考における共指示の現象を説明することが、ファイル説を強く売り出すカギとなってきた。「東京タワーは港区にある」と「日本電波塔は港区にある」という二つの思考に対して、主体が異なる認知的態度をとることがありうる。ファイル説的な説明によると、「東京タワー」ファイルと「日本電波塔」ファイルは、ともに東京タワーからの情報の引き受け先でありながら、因果関係のトークンが異なった別々の心的ファイルである。そして、「東京タワーは日本電波塔である」といった同一性の判断は、「東京タワー」ファイルと「日本電波塔」ファイルが同一の対象に関係すると認識することに依存する。この認識に応じて二つの心的ファイルは連結され、この連結を通じて両ファイルが情報を完全に共有する。その後、主体は上に例示した二つの思考に対して共通した認知的態度をとるようになる。このような仕方で、心的ファイル間の同一性関係を使えば、認識的価値を持つような同一性の判断を説明できると期待される。
   本発表では、最新のバリエーションとしてレカナッティのファイル説を紹介する。また、ファイル説へのいくつかの反論のうちで特に威力が大きいふたつを取り上げ、これらに対する彼からの応答も検討する。ひとつ目の反論は、心的ファイルによって同一性判断を説明することには循環があるというものである。(Murez “Self Location Without Mental Files”(2009)) 反論のふたつ目は、共指示の現象をとらえるためには従来よりも精細な区別が必要であるという、言語哲学者の間で共有されつつある認識に関わる。すなわち、二つの単称名辞が同一の対象を指示すると主体がみなすことには二種類あるといわれる(de facto/de jure coreference)。ファイル説の説明ではこの区別を扱えないという反論がある。(同上、Pinillos “Coreference and Meaning”(2011)) Mental Filesでレカナッティは、”linking”や「異なるタイプの心的ファイル同士の階層性」といった新しい道具立てを理論に組み込んだうえで、これらの批判に応答している。本発表では、これらの応答が成功していないことを示し、ファイル説が、その魅力にもかかわらず失敗を余儀なくされることを確認する。