発表題目:実体の区別とルーマンにおけるオートポイエシス

大阪学文研究科博士前期課程1年 下山惣太郎

 社会なるものが一体どのように成立しているのかを明らかにすることは、ルーマンが彼の仕事を通じてなそうとしたことの中で大きな位置を占めているだろう。ここでいう社会とは決して秩序だった社会だけを想定しているのではない。問題になっているのは非常に小さな範囲での対話や闘争をも含む社会的なコミュニケーション全般である。これは社会問題を解決しようとする試みや、あるいは現在ある社会を記述するものとしての社会学とは一線を画している。現にある社会を説明するのに都合のよいモデルを用意しようとするものでもない。それは社会を対象にしているという点で奇異に見えるものの、なにか特定のものが存在することのできる条件について問うている哲学として考えられるべきものだろう。
 こうした観点からルーマンを読み解き、ひいては社会とはなにかということを考えるにあたっては哲学における知見を活用しなければ不十分である。本発表の大きな目的はそうした関心の下で哲学と社会学の接点を示すことである。これは単にルーマンがなしたと思われる社会の研究を推し進めるだけではなく、哲学から見ても社会という従来重要視されていなかったものを存在論的に重要なものとみなすというというような新たな視点をもたらすという点で、十分価値のある帰結を導けるだろう。
 その具体的なやり方としては本発表では以下のような方法をとる。ルーマンは社会をオートポイエシス・システムというものの一つの種類だと考えていたが、今回はこのシステム一般の水準で話を進めることにする。そしてこのシステムは哲学においては実体にあたるものを指しているのであり、いわゆるルーマンのシステム論とは実体論なのだということを示す。それに属するものに先立ちそれらの可能性可能性の条件となるというものとしての実体とシステムをつなぎあわせることができれば、システムを、ひいては社会を、社会的なものはいかにして存在しえているのかという問題関心のうちでとらえることに大きく寄与するだろう。
ただしルーマンのシステム論が従来の実体論の単なる一亜種として考えられるというだけではそれを示すことに大きな価値はないと思われるので、その後ルーマンのシステム論は哲学に一定の寄与をするというということをそのシステムについての考え方そのものから導きたい。そのため今までの哲学における議論で問題になっていた実体はその他のものといかにして区別することができるのか、というという問題をとりあげる。そしてこれはルーマンの理論におけるオートポイエシスという概念を導入することで解決可能であるというということを示し、この目的を満たす予定である。