哲学と教育学についての試論
高口 涼(静岡大学)
文部科学省が、「言語活動の充実に関する指導事例集【高等学校版】」(2012年6月25日)を公表した。先に公表されている小学校版、中学校版と同様に、「思考力、判断力、表現力等をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養うため、言語活動を充実する」として、各教科等の指導にあたっては言語活動を充実させることが学習指導要領に盛り込まれているところを踏まえた実践例が収録されている。こうした実践例等が活用され、言語活動が各教科等の指導を通じて学校教育全体の中で、なされようとしている現状は、基本的に望ましいことである。
哲学分野における研究成果に目を向けてみると、アメリカで1970年代に考案された「対話」を重視した哲学教育の流れや高等学校での倫理科目における可能性を論じたものがみられる。これらの主張から、これまでの大学における大学生のための哲学教育の考察から大学以前の学校教育における児童生徒への哲学教育に関しての考察が見られるようになったといえる。言語活動の推進者としてのみならず、教育を考察する者の立場からは、思考、判断、表現をはじめ、言語で突き詰めて思索する哲学が教育の求めるところの言語活動において発揮する役割について、大いに期待できるものである。また、哲学分野の立場からは研究・教育の機会の拡大を意味し、学校教育の中へ取り入れる、という観点からみると利点が多いといえる。
しかし、哲学教育の有用性を認めることとしても、教員免許状取得の過程において「哲学」の講義を必修としているわけではないということも影響しており、哲学教育や哲学に関して理解のある者、哲学を研究している者に理解のある者のすそ野がどれだけのものであるか、といったことが、実践の段階において、哲学教育の目的や効果を歪めることにもなりかねず、慎重な検討が求められる。
最後に、道徳教育における議論について述べたい。近年は心情主義的道徳教育への批判が教育学者の間からも哲学者の中からも主張され、その主張は対話、をキーワードとして受け入れられていると見られる。ここでの対話は、他者との対話はもちろんであるが、自己との対話も含まれる。この対話を通じて自身の価値観を明確化させ、時としてその過程において葛藤をもたらす。さらに、他者との対話では、他者や社会の理解へと結びついていくこととなる。というものである。これらの議論は道徳教育に哲学的な手法で論ずるものであるとともに、実践においてもその手法を放棄することは無い点に着目すると、言語活動の充実と哲学教育との関連で非常に興味深いものである故に、本発表では、道徳教育における考察するところを示す。