音楽作品は「sound-sequence-event」のタイプだろうか
--聴取可能性の検討を中心に--

田邉 健太郎(立命館大学)

 分析美学における音楽作品の存在論では、音楽作品をいかなる存在論的カテゴリーに属するものとみなすべきか、が争点の一つとなってきた。それは、いまなお公認の結論を形成するには至っておらず、音楽作品を「演奏の融合体(fusion)」と考える立場や「作曲家の作曲行為」と考える立場など、多くの説が提起されている状況にある。こうした状況を踏まえて、本発表ではウォルハイム(Wollheim, R.)以来一つの潮流をなしてきた「タイプ説」に与するとされるドッド(Dodd, J.)の議論を取り上げ、「タイプである音楽作品は聴取可能(audible)である」とする彼の主張に検討を加える。
 ドッドは『音楽の諸作品』(2007)において、音楽作品は「sound-sequence-event(以下SSEと略記する)のタイプ」であり、そのトークンはSSEであると述べている。このような主張を動機付けるものとして、ドッドは音楽作品に対する日常的直観を挙げる。すなわち音楽作品とは、演奏や録音の再生といった形で反復可能であり、それらのものを通して聴取可能であるという日常的直観と「SSEのタイプ」は合致するとドッドは考える。
 本発表の概要は以下のようになる。まず、音楽作品がSSEのタイプであるとするドッドの主張を確認する(第1節)。次に、ドッドがタイプをいかなるものと考えているのかを明らかにする(第2節)。音楽作品タイプ説の支持者とみなされる論者の中には、「タイプが物理的性質を所有しうる」(Wollheim)あるいは「タイプが構造を持ちうる」(Levinson)と考える論者もいるが、ドッドはどちらの見解も否定する。タイプは抽象的であり、非構造的であり、様相的・時間的に硬直した(inflexible)ものであり、永久に(eternal)存在すると考えるドッドの議論を明らかにすることが第2節の目的である。そして、第2節で明らかにされた性格(nature)をもつタイプをいかにして聴き取ることが可能であるのか、この問いに対するドッドの回答を第3節で明らかにする。タイプの聴取可能性を説明する際に、ドッドは「アナロジカルな述定(analogical predication)」、「延長直示(deferred ostension)」、「抽象的対象の因果的有効性」など様々な道具立てを用いているが、これらの議論の整理を第3節で試みる。以上のようなドッドの議論の整理を踏まえ、第4節では聴取可能性に対するデイヴィス(Davies, D.)の批判を取り上げ、ドッドの議論の妥当性を検討する。論争の紹介を通じて、ドッドの議論を明確にするとともに、そこに内在する問題点を明らかにすることが、本発表の目的である。