聴覚的対象と音の個別化について

源河 亨(慶應義塾大学)

 本発表の目的は、音は音源となる出来事(皿が落ちた、ベルが振動した、等々)によって個別化されると主張することである。たとえば、音源となる出来事が1回だけ生じれば、たとえ知覚主体に何かが複数回聞こえようとも、存在している音は1つだけだということである。(以下では、音源となる物体の振動を「音源」、知覚主体に聞こえるものを「聴覚的対象」と呼ぶことにする。)
 音が音源によって個別化されるという主張は、音は音源と同一であると主張する、音についての遠位説(Distal Theory)に基づいている(Casati and Dokic 2005)。まず本発表 は、音について現在主張されている3つの立場、遠位説、中位説(Medial Theory)、近位説(Proximal Theory)を紹介し、聴覚経験の内容やサブパーソナルなレベルにおける知覚情報の観点から、遠位説が音についての最も適切な立場であるということを述べる。
 次に本発表は、「音は音源によって個別化される」という主張に対する反論となりうるような事例を検討する。それは、音源と聴覚的対象の数が異なり、なおかつ、音源ではなく聴覚的対象に基づいて音を個別化することが自然であるような場合である。たとえばエコーの場合、音源よりも多くの聴覚的対象が存在し、なおかつ、聴覚的対象の数に基づいて「音が何回か聞こえた」と言うのが自然であるように思われる。また、スピーカーから再生されている曲などを聞く場合、異なる音色、高さ、大きさをもった複数の聴覚的対象が存在し、それらに基づいて、たとえば、「トランペットとドラムの音がする」と言うのが自然であると思われるが、聴覚的対象の数や種類に対応するような音源は存在していない。また、ステレオで再生されている音を聞く場合、音源の数よりも少ない聴覚的対象しか存在していないが、このときも、「音はいくつ聞こえたか」という問いに対して、通常は聴覚的対象の数を答えるだろう。本発表は、これらの事例はいずれも遠位説の理論内部から予測される錯覚であり、遠位説を損ねるものではないこと、そして、仮に聴覚的対象に基づいて音源を個別化するといくつかの困難が生じること、を示す。