ラッセルの置き換え理論と二つのパラドクス

伊藤 遼(京都大学)

 ラッセル(Bertrand Russell)は、論理主義の実現を目指したその歩みの中で、「置き換え理論 substitutional theory」と呼ばれる論理体系を考案した。数学の哲学におけるラッセルの歩みは、論理主義の立場が示された『数学の諸原理』(The Principles of Mathematics)に始まり、数年間の試行錯誤を経て、ホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ』(Principia Mathematica)において、一つの完成を見る。置き換え理論とは、その試行錯誤の数年間に展開されていた論理体系に他ならない。
 よく知られているように、『プリンキピア』では「分岐タイプ理論」と呼ばれる論理体系が採用された。それは、プリミティブな存在者として与えられた命題関数に対して、タイプとオーダーという二つの制約を与えることで、諸々のパラドクスを避けるものだった。しかし、二つの制約は数学を展開するには厳しすぎるものであり、それゆえ、分岐タイプ理論は、いわゆる「無限公理」と「還元公理」という二つの想定を必要とする。そして、こうした二つの「論理的」とは思われない想定を必要とすることから、分岐タイプ理論は論理主義プログラムを実現するものとは見なされなかった。
 置き換え理論は、分岐タイプ理論以前にラッセルが考えていた、オーダーの制約を持たないタイプ理論、いわゆる「単純タイプ理論」である。置き換え理論の基本的なアイデアは、命題とそれに現れる対象のペアによって、命題関数を再現することにある。この点で、置き換え理論は分岐タイプ理論と大きく異なる。さらに、近年の研究の成果により、置き換え理論は、分岐タイプ理論に必要な二つの想定を置くことなく、ペアノ算術を展開できるということが分かっている。しかし、こうしたアドバンテージにも関わらず、置き換え理論は放棄されてしまう。ラッセルが、それに固有のパラドクスを見つけたためである。また、『数学の諸原理』において論じられたある別のパラドクスも、置き換え理論には生じることが分かっている。本発表では、置き換え理論とそれに生じる二つのパラドクスを詳細にすることで、置き換え理論による論理主義プログラム実現の可能性を検討する。