ヘーゲル『大論理学』の有機体論とカント『判断力批判』

川瀬 和也(東京大学)

 へーゲルは『大論理学』「生命」章において、「生命ある個体」は有機体であるとして、その「内的合目的性」について語っている。そこでは有機体について、「目的の手段でありまた道具である」とされ、さらに「この手段また道具はそれ自身達成された目的である」とも言われている。
 一方、カントは、『判断力批判』の第2部「目的論的判断力の批判」において、有機的存在者を定義した箇所で、「ある有機的に組織された自然の所産は、そのうちで全てが目的でありそして相互にまた手段でもあるものである」と述べている。
 このそれぞれの箇所を比較するだけでも、へーゲルがカントの有機体論、とりわけ『判断力批判』の有機体論から大きなヒントを得ていることは明らかである。その意味でヘーゲルの有機体論は、『判断力批判』のカントの影響下にあるといえる。
 しかしカント・へーゲルの両者が、有機体の諸器官が手段でありかつ目的でもあるという、このほぼ同一の事態を前に展開する議論は、叙述の外見上の類似にもかかわらず、全く異なっている。カントは有機体の概念を「反省的判断力の統制的概念」であるとして、厳密にその妥当性を限定する。これに対してヘーゲルは、有機体の「内的合目的性」を、「生命ある個体」において「主観的概念」が「客観性を貫通する」という主張を裏付けるものとして捉えている。ここには明らかに存在論的な主張が読み取れる。こうした議論は、カントのような立場からはおそらく容認されえないものであろう。逆に言うと、この議論はカントにはなかった、ヘーゲルの有機体論に固有の性格を示す議論であるといえる。
 本発表ではまず、ほぼ同一の事態から全く異なる議論が展開される、この興味深い箇所を読み解いてゆく。そしてその読解をもとにして、カントとは全く異なる、ヘーゲルの有機体論の存在論的な性格を際だたせることをめざす。