フレーゲの論理的分析の方法と分析のパラドクス

高橋優太(慶應義塾大学)

 G. フレーゲが着手した「論理主義(logicism)」のプロジェクトとは、大まかに言って、算術を論理学に還元することを目指すプロジェクトである。要するに、論理法則と論理的な概念のみが含まれる定義だけを用いて、算術の公理を証明するということをそのプロジェクトは目的とする。論理的な概念のみを用いた定義と論理法則だけを用いて算術の公理を証明するために、フレーゲは、0 や1 といった個々の基数、基数間の後続者関係などの定義を与えた。これらの定義は、基数概念を正しく明確に説明するという意図のもとで与えられたと言える。すなわち、これらの定義は、基数概念についての概念分析・論理的分析を与えるという意図のもとで与えられたのである。
 本発表の目指すところは、フレーゲの論理主義のプロジェクトがもつこの「基数概念の論理的分析」という側面を検討することにある。より具体的に言えば、フレーゲが与えた基数概念の論理的分析はどのような内実をもつのか、ということを明らかにしたい。そしてそのことから、より一般的に、フレーゲの論理的分析の手法はどのような内実をもつのかを明らかにしたい。
 そのために、本発表が手がかりとするのは、「分析のパラドクス」と呼ばれる議論である。ただし、この議論は、論理主義のプロジェクトの脈絡とは独立に提起されたものである。この議論は、概念分析・論理的分析一般についての次のようなパラドキシカルな結論を与える。すなわち、「どのような分析が与えられようと、それは実質のある情報を与えないかあるいは正しくないかのいずれかである」という結論である。分析のパラドクスは、哲学において論理的分析・概念分析という手法を用いることのうちに見られる問題点を指摘しようとするものである。
 フレーゲの論理的分析の方法と分析のパラドクスとの関係については、M.ビーニーが詳細な研究を与えている(※1) 。ビーニーの研究を手がかりに、「分析のパラドクスに対してはフレーゲの側からどのような応答ができるのか」という点を検討することは(※2) 、フレーゲによる基数概念の分析がどのような仕方で基数概念の明晰化を与えようとしているのかを明らかにするために役立つはずである。そして、結論としては、次のことを主張したい。すなわち、フレーゲの論理的分析の方法は、分析対象を含む理論体系を新しく作り直すというものである。そして、こうした論理的分析の方法は、分析のパラドクスが指摘する問題に妥当な仕方で応答しうるような、洗練された方法である、と。
 では、以上のことをまとめて、本発表の目的をもう一度述べておくことにしたい。本発表の目指すところは、「分析のパラドクスに対してフレーゲの側からどのような応答ができるのか」という点の検討を手がかりに、フレーゲが行なった論理的分析の内実を明らかにすることである。

(※1) Beaney, Michael, “ Analysis ”, in The Stanford Encyclopedia of Philosophy, on line at http://plato.stanford.edu/entries/analysis, 2003. Beaney, “ Carnap's Conception of Explication: From Frege to Husserl? ”, in Awodey, S. and Kline, C., (eds.), Carnap Brought Home, Open Court, Chicago, 2004, pp.117-150. Beaney, “ Sinn, Bedeutung, and the Paradox of Analysis ”, in Beaney, M. and Reck, Erich H., (eds.), Gottlob Frege: Critical Assessments vol.4, Routledge, London, 2005, pp.288-310. Beaney, “ Conceptions of analysis in the early analytic and phenomenological traditions: some comparisons and relationships ”, in Beaney, M. (ed.), The Analytic Turn: analysis in early analytic philosophy and phenomenology, Routledge, New York, 2007.

(※2)分析のパラドクスは様々な形で定式化されうると考えるならば、フレーゲの著作の中に、このパラドクスへの応答とそのままみなすことができる議論を見つけることはできる。Beaney,“ Sinn, Bedeutung, and the Paradox of Analysis ”を参照されたい。