指示と導入──意図の忖度から──

荒磯 敏文(日本学術振興会特別研究員PD)

 本発表では、個別的な対象について述べるという行為について、指示(reference)と導入(introduction)という二つの様態が存在することを指摘し、話し手と聞き手がお互いに行う意図の忖度という観点から、この区別を整理したい。

1.指示的言明の理解と忖度

 個々の指示的な言明を理解するさいには、聞き手は、どの対象が指示されたのかを知る必要がある。たとえば、Donnellan(1966)(※1)の指摘した確定記述の指示的用法(referential use of definite description)では、たとえば、パーティ会場で発話された“The man drinking martini over there looks happy”が適切に理解されるためには、聞き手は、目の前にいる誰が“the man drinking martini over there”であるのかを知る必要がある。そして、このとき、聞き手は、話し手がどの対象を指示しようと意図したのかを忖度する必要がある。つまり、事実問題として件の人物がこの確定記述を充たすことに気づくことではなく、件の人物がこの確定記述の使用に際して話し手の意図した人物であることに気づく必要がある。また、話し手にしてみれば、聞き手がそのように忖度することを予期して、はじめてその指示を自ら合理的なものとみなすことができる。つまり、指示の成立は、こうした相互忖度の即時的な成立に依拠していると考えることができ、そのため、あの対象が指示対象であるとお互いに了解している──たとえば、“That man drinking martini over there looks happy”に類比して理解することができる──と言うことができる。

2.指示と導入の相違点

 さて、同じく個別の対象について述べようとする言明でありながら、上述の説明が通用しない場合もある。たとえば、昨日あった出来事の報告として、“I met a salesman yesterday”と話す場合を考えてみよう。聞き手は、この発話を聞くにあたって、話し手は誰か特定の人物について述べようとしているということは理解できよう。しかし、聞き手の立場からは、誰が“a salesman”であるのかを知ることはできないし、話し手から見ても、聞き手がそれを忖度してくれることは期待できない。それゆえ、この発話は、指示的な発話、たとえば“I met that salesman yesterday”に類比して理解することはできない。このような発話は、話し手にも聞き手にもすでに知られているような何かを指すというよりは、聞き手には知られているとは限らない何かを談話の場に導入することがその企図に含まれているような発話である。これを、導入的(introductive)と呼びたい。

3.導入的言明の理解と忖度

 さて、それでは、“I met a salesman yesterday”が導入的に発話された場合、聞き手は何を理解することになるのだろうか。あるいは、話し手は聞き手に何を伝えることができるのであろうか。本発表では、この点を細かく検討したい。第一に、単純に“There is a man such that the speaker met him yesterday”といった存在言明に類比して理解することはできないであろう。第二に、“There is just one man such that the speaker met him yesterday”といった一意存在言明でも不足だと思われる。そのうえ、私の見解では、“There is just one man such that the speaker intends to say of him that he met him yesterday”という類の、話し手の意図に言及した一意存在言明ですら十分ではない。もっとも、この最後の論点については十分に慎重な検討を必要とするかもしれない。本発表では、導入的な事例のバリエーションを観察することを通して、これらの論点に踏み込んでいきたい。いまのところ、以下のような仮説を検討している。すなわち、導入的な言明は、聞き手に対して、対象関与的(de re)な理解を(要求するのではなく)もたらすという仮説である。これは、内包的な操作子についての言表的(de dicto)と対象関与的(de re)の対比という観点では論理形式に関与する論点であり、同時に、その意味論をメタ言語で与えるにあたって、知識論的な考察を必要とするような論点でもある。そして、導入的な言明に対して聞き手がもつ理解は、それまで聞き手に使用可能であった言語だけでは表現(express)できないということを示したい。
 また、時間があれば、導入的な言明がもついくつかの興味深い特性や、指示-導入の区別に該当する日本語の言語現象はどのようなものか、あるいは、そもそもこの区別が意味論-語用論の枠組みにおいてどのような位置をもつべきであるのかといった論点について考察できればと思っている。最後に、本発表では、上述の論点のようなこまかな違いを地味に確認していく作業が続くが、それを理解するために特に必要とされる専門的な知識はほとんどないものと思う。積極的な質問や意見を歓迎したい。

(※1)Donnellan, Keith. 1966. Reference and Definite Descriptions. Philosophical Review 75, 283-304.