「ライプニッツ的「合理性」をめぐって」
                           松田 毅 (神戸大学)

 筆者は、『ライプニッツの認識論――懐疑主義との対決』(2003年創文社刊)などで、ライプニッツ哲学の認識論的解釈を試みてきた。これは、二十世紀のライプニッツ研究をリードした「論理主義的」ライプニッツ解釈と「力学的」解釈について「認識論」の観点から検討を加え、新たなライプニッツ像を打ち出すことを意図したものである。それは、「基礎づけ主義」の哲学運動が、難点を露呈し、退潮した後、新たに様々な構想のもとで知識の理論が展開されている現在、基礎づけ主義のモデルを与えたデカルトや経験主義者およびカントとの間にあり、哲学史上重要な位置を占めながら、主として記号学や論理学の構想を中心に研究・理解されてきたライプニッツ哲学の中に、実はかれらに優るとも劣らない豊かな可能性が含まれている点を示そうとすることでもあった。この発表では、この方向をさらに推し進め、ライプニッツ哲学、特にその「認識論」の全体的構造と現代的意義とを明らかにするため、「合理性」の概念を問題にしたい。
 その理由は、大きく言えば現代においても、様々な光と影をもつ、近代合理性の意味内容とその妥当性をめぐる論争が続いている一方で、私見ではライプニッツも含め、十七世紀哲学の豊かな洞察が十分に汲み尽くされたとは言えない点にある。また他方では、狭義のライプニッツ研究に絞っても、ライプニッツ哲学における「合理性」の位置づけが新たに研究の焦点となりつつあるからである。
 この問題を考える一つの手掛かりとして、最近行われた論争を取り上げる。その発端は、ようやく1999年に公刊された、ライプニッツの1677年から1690年――『形而上学叙説』やアルノーとの往復書簡の執筆前後の時期――までの哲学関連の遺稿を集めた、アカデミー版全集Ⅵ4巻にある。その編集と巻頭の序論が論争の火種となったのである。議論は、Ⅵ4巻の編集責任者、ミュンスター大学名誉教授で、分析哲学の観点からライプニッツ研究を導いてきたH. Schapersと、『ライプニッツの記号学』(1978年Paris)やライプニッツの修辞学などの遺稿を集めた『論争の技法』(2006年Dortrecht)などの著作・編集で知られるテルアビブ大学教授のM. Dascalとの間で交わされた。
 ライプニッツ哲学における「合理性」の性格規定をめぐり、The Leibniz Review 13(2003年)-14(2004年)誌上で繰り広げられたこの論争の争点は、ライプニッツの遺した膨大な遺稿に見られるratioの多様な側面を互いにどう位置づけ、どう評価するか、に関するものあった。それは、特に一方にある、普遍記号学や、あらゆる知識の演繹を行う「ライプニッツ・プログラム」に代表される「強い」合理性や論理学的発想の徹底による形而上学構築の試みと、他方にある、自然言語の使用を基盤にした、修辞学に代表される、非形式論理的方法が含む「柔らかい」合理性とがライプニッツの場合、共存している点をどう理解するべきか、という問題である。
 本発表では、この論争を念頭に「普遍学」の構想が初めて登場する1677年前後の遺稿を中心に、ライプニッツのスピノザ批評を解釈する。この作業を通じ、特にスピノザの方法論との対比により、上述の「強い」合理性と「柔らかい」合理性とを貫き、繋ぐ、ライプニッツ的「合理性」の認識論的側面を明らかにする。というのも、この側面は、スピノザ没(1677年)後に出版された『エチカ』に関するライプニッツの覚書(1678年)など、1676年以降に書かれた一連の文書でとりわけ顕著に現れるからである。最も重要な論点だけを挙げるとすれば、それは、ライプニッツがスピノザの「自己原因」、すなわち唯一実体の概念に対して加えた認識論的批判にある。実際、ライプニッツは、実体について「それ自体においてあること」と「それ自体によって把握されること」とを区別することによって、実体の存在論的独立とその認識論的依存とを峻別し、個体的実体――「それ自体においてあるが、それ自体によって把握されるのではない」――の概念空間とそれにふさわしい認識論の地平とを切り開くことになったからである。
 ライプニッツは、論理学や形而上学はもちろん、自然科学や法学などの多様な知識を発展させるために求められる、柔軟で包容力のある、合理性概念を展開することで、「知識の不確実性」への対処としての確率論への眼差しも含む、独自の「真の論理学」、つまり「発見法」を構想しえたと筆者は考える。本発表では、ライプニッツ哲学を支える、この合理性の諸特徴とその射程とを認識論の観点から示したい。

上野 修 「ライプニッツとスピノザ ──現実性をめぐって──」
山内 志朗 「ライプニッツにおけるアヴィセンナの声──共通本性の系譜──」