『仮象』概念を導きの糸とした、ニーチェ思想の「再‐構築」に向けて
(仮題)

今崎高秀(法政大学)

 周知のように、ニーチェは「神の死」を宣告することで、我々近代人が準拠すべき原理を、彼岸に設定された超感性的な理念にではなく、我々の「生(Leben)」の内へと転じることを説いた。だがここで肝要なのは、ニーチェ哲学における「生」概念の独自性は、「生が決して仮象(Schein)」とは切り離しえない」という洞察にこそ存するということである。
 本発表は、「仮象」概念を導きの糸として、「前期ニーチェ」(出来れば『人間的、あまりに人間的』まで)の思想の変遷を追跡したい。詳しくは、『音楽の精神からの悲劇の誕生』で展開された「アポロ的仮象」が、バーゼル大学講義録「古代レトリックの叙述」、並びに未公開論文「道徳外の意味における真理と虚偽について」を経て、「仮象」がニーチェ思想の内で、より「特権的な位置」を占めるようになる軌跡を追う。このプロセスは、ショーペンハウアーの影響を未だ残す「根源的一者(Ureine)」からの脱皮のプロセスを意味する。
 「西洋哲学はプラトン哲学の注釈である」とも言われるが、プラトンが提示した「仮象/実在」の階級秩序的二項対立は、カント『純粋理性批判』における「現象/物自体」、そしてひいてはニーチェに甚大な影響を与えることとなるショーペンハウアーの「表象/意志」の価値区分へと引き継がれることとなる。この上で、ニーチェが西洋哲学における権威的な「知の枠組み」から離反するプロセスは、ニーチェの思索において、仮象が唯一の実在となる」プロセスとして、捉え返すことが出来る。ニーチェ思想における「仮象」の概念史を解明することは、『悦ばしき知識』(125節)における、かの有名な「狂人」がスキャンダラスな仕方で告知する「神の死」という歴史的出来事に対して、時に過度に大仰な身振りを見せるニーチェ思想に「沈み込む」危険性を回避しつつ、内在的に接近する道筋を提供してくれるのである。
 また、ニーチェ思想における「仮象」概念の変遷を追跡する上で、本発表は、近年の文献学的なニーチェ研究が明らかにしつつある、19世紀の科学的パラダイムの台頭が、ニーチェを強力にサポートしているという、言わばニーチェ思想の「隠された思想形成の現場」にも留意したい。