一人称的視点から見た知識・信念帰属(仮題)

坂倉涼(千葉大学)

 「心の状態(信念、欲求、意図など)を知る」ということに関して、人は「自分の」心の状態に対して、特別な関係を有していると考えられる。この関係は、他人が私の心に対して持つ、あるいは、私が他人の心に対して持つ関係と比して、独特なものである。私が彼の信じていることを知るには、彼の発言や行動という証拠(根拠・evidence)に依拠することが必要であり、彼が私の信念を知る際にも同様な手続きが必要とされるのに対して、私、そして彼は、「自分の」信じていることを知るために、それに類した証拠を必要とすることはない(例外的な状況を除けば)。このような自己知の一人称における特性は、「一人称特権」(First-Person Authority)と呼ばれる。
 この「一人称特権」という事実を説明するために、本発表では「透明性」(transparency)という概念に訴える。「透明性」という概念は、自分の信念に関して、「私はPと信じているか否か」を知るためには、世界の事実、つまり「Pであるか否か」を調べるだけでよい、ということを意味する概念として定式化できる。この概念は、「自分の心の状態を知るには、「内側をのぞきこむ」(inward glance)必要はなく、世界の事実に目を向けていればよい」という直感を掬い取るものである。自分の心的状態を知るためには、「自分」に言及しない命題の真偽を考慮するだけでよい。その意味で「透明に」自分の心の内容を知ることができる。この概念はウィトゲンシュタインに端を発し、その後ガレス・エヴァンズやリチャード・モランといった論者が論じている。この概念の細部を、特にアレックス・バーンのこの概念に関する具体化の作業を提示することで、明確化する。
 本発表は、心的状態の中でも、特に知識と信念に話を限定する。知識と信念の類似点と相違点に注目しながら、「透明性」が、知識・信念帰属における一人称と三人称の非対称性といかに関係しているのか、を論じる。このことにより、知識・信念帰属の実際の営みに光を当て、その中に一人称特権を的確に位置付けることが、本発表の目指すところである。
 (発表内容に変更があるかもしれません。ご容赦ください。)