加地 大介 (埼玉大学)
「現代的実体主義の諸相」

 アリストテレス的な形而上学の現代的復興の一形態は、 プロセス重視の流動主義(fluxism)、事実(fact)や事態(state of affairs)を基礎的存在者とする事実主義、 ディヴィドソンを代表とするできごと存在論(event ontology)などが優勢であったと思われる昨今の現代哲学の情勢の中で、 実体を基礎的存在者として位置づける実体主義(substantialism)、実体存在論(substance ontology)が復活してきたことである。 実体論は、すでにストローソンやウィギンス(D. Wiggins)が精力的に展開していたが、彼らの実体論はたぶんに概念主義的な性格が強かったのに対し、 最近は、より実在論的な実体主義を主張する研究者が目立っている。 その代表的な研究者として、ラックス(M. J. Loux)、ロウ(E. J. Lowe)、ホフマン(J. Hoffman)、ローゼンクランツ(G. S. Rosenkranz)、 スミス(B. Smith)、ヨハンソン(I. Johansson)らが挙げられる。
 しかし、彼らは、少なくとも何らかの意味において「実体主義者」と言い得るという点での共通性を持つが、 その際の「実体」としてどのようなものを想定しているかという点については、必ずしも一枚岩ではない。 このことは、例えばスミスによる実体の定義とロウによる実体の定義とを比較してみると一目瞭然である。
 スミスは次のように実体を定義している:

・xは実体である。(x is a substance.) ≡df (1)xは実体的である。(2)xは(ひとつの)境界を持っている。 (3)xに境界依存していると同時にxから離散的な部分を持つ何らかの個体yにも境界依存しているような対象は存在しない。

この中で用いられた「境界依存」「境界」「実体的」の定義は以下のとおりである:

・xはyに境界依存している。(x is boundary dependent on y.)≡df (1)xはyの個体的真部分である。 (2)xは必然的に、yが存在するか、または、xを真部分として含む、yの部分が存在するかのどちらかであるようなものである。 (3)xの各個体的部分は、(2)の条件を満たす。
・xは境界である。(x is a boundary.)≡df xは何らかの個体に境界依存している。
・xは実体的である。(x is substantial.) ≡df (1)xは原子的である。(2)xはいかなる他の対象にも個別的に依存していない。

さらに、「実体的」の定義は次の定義を前提している(他にもいくつか定義が必要だが、ここでは省略する):

・xは原子的である。(x is atomic.) ≡df (1)xは個体である。(2)xは一方的に可分的ないかなる部分も持たない。 (3)相互的に可分的な部分への分割は存在しない。
・xはyに個別的に依存している。(x is specifically dependent on y.) ≡df (1)xはyから離散している。 (2)xは必然的に、yが存在しなければ存在し得ないものである。

 一方、ロウは次のように実体を定義している:

・xは実体である。 ≡df (1)xは個体である。 (2)次のような個体yは存在しない:yはxと同一ではなく、xはその存在をyに依存している。

ここで、「xはその存在をyに依存している。」は次のように定義される:

・xはその存在をyに依存している。(x depends for its existence upon y.) ≡df 必然的に、xの同一性はyの同一性に依存している。

さらに、「xの同一性はyの同一性に依存している。」の定義は次のとおりである:

・xの同一性はyの同一性に依存している。(The identity of x depends on the identity of y.) ≡df 必然的に、 次のような関数(function)Fが存在する:xはyのFであるということは、xの本質(essence)の一部である。

 以上からわかるように、両者による実体の定義には、「個体性」「独立性」を中心概念として成立しているという点での共通性はあるが、 その際の独立性の具体的規定に関してはほとんど共通点がないとさえ言える。 例えば、スミスによる実体の定義には「本質」なるものはいっさい関与していない一方で、ロウによる定義には「境界」なるものはいっさい登場しない。 また、スミスの定義においては部分−全体関係を主題とするメレオロジーが重要な役割を担っているのに対し、ロウの定義はもっぱら同一性を問題としている。 これは、同じアリストテレス的実体主義者の中でも、「質料」と「形相」との関係に関して多くの不分明さを残すアリストテレスの実体論に対応して、 実体をもっぱら質料的レベルで規定しようとする質料重視型と一般化された意味での形相を用いて規定しようとする形相重視型とに分かれることの顕著な現れのひとつだと考えられる。 このレクチャーでは、実体主義者たちの間に見られるこうした共通点や相違点としてどのような種類と程度があるのか、 そしてそれらの異同が具体的にどのような要因によってもたらされ、どのような帰結をもたらすのか、といった問題について考えながら、 現代的な実体主義の全体像に迫りたい。