野内 玲 (名古屋大学大学院文学研究科)
科学的実在論の論争とアブダクション 〜実在論者の逃げ場はどこに〜

科学的実在論の論争において主に争点となるのは、科学の目的やその真理性、科学の観察不可能な対象を存在論的・認識論的にどう位置づけるか、である。

実在論者、たとえばボイド(Boyd)、初期のパトナム(Putnam)など、はこれらのことについて肯定的な立場をとる。 すなわち、われわれの科学理論は真、科学の目的は真なる理論を求めること、科学は真なる理論へと前進して行く、観察不可能な対象は世界に実在する、 という一群の主張を行う。彼らの主張を支える主な議論は奇跡論法と呼ばれる。 奇跡論法とはアブダクション(最良の説明への推論)を用いて、科学の成功から科学の真理性を導く議論だ。 そして、真なる科学理論に含まれている理論的対象は世界に実在することになる。 奇跡論法から帰結することは、科学の成功を奇跡にしないで理解できるのは実在論の立場だけだ、ということである。

反実在論者は以上のことについて否定的ないし懐疑的な立場をとる。 たとえばフラーセン(Van Fraassen)は、科学の目的は経験的に十全な理論を構築することだ、という構成的経験主義をとり、 観察不可能な対象の理解を科学に求めない。言い換えれば、科学の最良の説明が実在論であるとは限らない、ということである。 直接われわれが観察可能な現象に対してだけ、フラーセンは存在論的にコミットする。 また、ラウダン(Laudan)は実際の科学史をみることで、 科学理論の成功とその真理性には実在論者が考えるような肯定的なリンクが存在しないことを事例を挙げて反論する。 これは一般には悲観的帰納法と呼ばれる議論であり、実在論者にとっては最大の障壁となっている。 それらの事例から明らかなように、観察可能な現象のレベルでは連続性が見出せるものの、観察不可能な対象物のレベルではそうではない。 つまり、科学理論の真理への発展が見られないのである。

実在論者は認識論的楽観主義とも評されることがあり、前述したように多くのことを科学理論に求めている。 反実在論者からの反論を受けて、現在では本来の主張を制限・修正し、より穏当な立場をとることで実在論は抗しようとしている。 ハッキング(Hacking)の実体(介入)実在論、ウォラル(Worrall)の構造実在論、カートライト(Cartwright)のモデル論的実在論などがそれである。 実在論者は本来持っていた主張を同時に維持することは出来ない(たとえば、実体を別の基準によって維持するか、数学的構造だけを維持するか、など)。 実在論者は後退せざるを得ないのである。

本発表では、上述したような論争の流れを確認するとともに、シロス(Psillos)の議論を元にして、実在論はどこまでなら踏みとどまることが出来るかを考察する。 論点としては、 (1)フラーセンの構成的経験主義に対する批判とそれに伴うアブダクションの擁護、 (2)構造実在論のような後退した実在論の検討、これら二つを予定している。