杉本 俊介 (名古屋大学)
「企業の道徳的行為者性を巡る論争」

 企業倫理学(Business Ethics)は、アメリカにおいても日本においても、応用倫理学のなかで比較的最近になって活発化した研究領域であり、 他の応用倫理学に較べていまだ十分に議論がなされていない領域である。企業倫理学の議論のなかでも特に形而上学的な議論が展開されているのが、 企業の道徳的行為者性(Corporate Moral Agency、以下CMA)というトピックを巡る論争である。今回の発表ではこれを取り上げてみようと思う。

 CMAとは、企業がもつ道徳的行為者(moral agent)であるという性質だとされる。 アメリカの哲学者Peter A. Frenchは、企業の構成員に還元できない企業の道徳的責任を主張するために、CMAが証明できなければならないと論じている。 彼は、CMAの構成要件として意図、行為、人格、同一性などを挙げ、それらが企業において存在することを証明しようとしている。

 CMAを巡る論争は、よくもわるくもFrenchを中心に行われてきた、ということが現在の多くの論者の共通認識であろう(Danley 1999)。 一方で、企業には企業の構成員に還元できない道徳的責任がある、というFrenchの考え自体は、実際の企業の責任のあり方が反映された考えであり、捨てがたいところがある。 ボーパル危機におけるユニオン・カーバイト社や、チャレンジャー号事件におけるモートン・サイオコール社の責任のあり方など、企業倫理学でしばしば挙げられる事例のなかでも、 Frenchのこうした考えに当てはめられる事例は多くある(Werhane 1989, 822)。 他方で、多くの論者が批判するように、FrenchのCMAは企業に意図、行為、人格、同一性など過大な要求をしている。 したがって、企業に意図なんてやっかいな概念を持ち出すべきではない(Gibson 1995)、人格なんて言いすぎだろう(Donaldson 1982; Danley 1999)、 企業活動は構成員の諸行為に還元されるべきである(Velasquez 1983)、現在の企業形態の観点から企業の同一性が保てるわけがない(Welch 1989)、 などといった批判が各論者からなされてきた。

 本発表では、CMA論争を整理してみようと思う。まずFrenchの一連の著作から彼が言いたいことをくみとる。 次に、各批判者が①どのような問題意識から②Frenchのどの点を批判し③何を提案しているのか、について見てゆく。 最終的にはCMAを巡る論争の大きな地図を作成し、今後の議論の手引きにしたい。