講演者: 森岡 正博 (大阪府立大学)
講演タイトル: 生命倫理はいかにして哲学の問題となるのか

 企画者から、昨今の生命倫理や応用倫理についての議論は、哲学としてのおもしろさに欠けるのではないかという問いかけを受けた。なるほど、そう言われてみると、それはよくわかる。なぜかと言えば、私が大学院生のときに米国からバイオエシックスが翻訳され導入されたのだが、その輸入作業に携わった私が当時痛切に感じたことこそが、その問いであったからである。ごく最近までのバイオエシックスは、米国の社会(自由主義、資本主義)を基本的に前提としたうえで、人格論、功利主義、義務論などをいかにスマートに適用するかという技の見せ合いみたいなところがあった。そこにあるのは、やはり「応用」であり、その応用を支えているところの根源を問おうとする哲学の営みは乏しいと言わざるを得ない。
 しかしこれは、生命倫理の諸問題が哲学とは無関係だということをまったく意味しない。それはそもそもわれわれの生と死、人間観、技術問題を直撃しているわけだから、いかなる意味においても哲学の問いそのものであるはずなのだ。だから、要するに、アプローチの仕方の問題というのが伏在しているのである。私は、1998年から、バイオエシックスに代わって、「生命学」というアプローチを提唱してきた。最近、ようやくその方法論が見えてきたが、生命学はきわめて「哲学的」である。そのあたりのことを中心に、いま考えている課題などについて述べてみたい。なお、日本の哲学界(とくに日本哲学会)の不毛については、論文を発表しているので、私のHPに転載されている論文「現代において哲学するとはどのようなことなのか」(http://www.lifestudies.org/jp/tetsugaku01.htm)をあらかじめ読んできていただければさいわいである。この論文で述べたことは、若手哲学研究者フォーラムの諸君にも当然当てはまるかもしれないことである。そのうえで、真の哲学の営みとは何なのかをめぐって討論したい。なお、私の生命学の最新の成果が、『生命学に何ができるか』(勁草書房 2001年)として刊行されたので、興味ある方は書店や図書館等で参照してみてほしい。