講演者: 小泉 義之 (宇都宮大)
講演タイトル: 最高善から反復へ
道徳とはルサンチマンである(ニーチェ)。ルサンチマンを免れた人間は、もはや人間ではない(ドゥルーズ)。したがって、道徳の根拠を問うことは、人間の生命の根拠を問うことに相当する。「規範の基礎」(日本倫理学会)や「道徳の理由」(叢書エチカ)を問うことは、人間の生命の基礎や理由を問うことに相当する。どうして道徳的である(べき)かという問いは、どうして人間として生きるのかという問いに相当するのである。あるいはむしろ、そのような相当性が成り立つ次元において問いを立てなければ、倫理学はたやすく経験的で通俗的な倫理(人倫)をめぐるお喋りに陥ってしまう。そして実際、近年の良心的講壇学問の席巻もあって、学知としての倫理学は忘れ去られようとしている。私は、この動向に対峙したいと考えているし、その上で、学知としての倫理学を別の仕方で突破したいと考えている。そこで第一に、カント『実践理性批判』「弁証論」を、先の相当性が成り立つ次元において解釈したい。第二に、 カント「弁証論」が、 ラカン『精神分析の倫理』のごとく、 ドゥルーズ『差異と反復』のいう「時間の第二の総合」ないし「純粋過去」に留まっていることを示したい。第三に、このカント=ラカン的な閉塞状況がまさに現代思想の閉塞状況に等しいことを示唆したい。第四に、この閉塞状況を、お喋りに堕して忘却するのでなく、ドゥルーズとともに「時間の第三の総合」ないし「反復」へと突破していきたい。
本当は、経験論・通俗哲学・講壇学問などは黙殺して、緊急に分子生物学や自然科学をめぐる迷信を批判して未来の倫理を創出するのが務めだと考えているが、多少後向きであっても、落とし前だけはつけておきたいと考えてもいる。