「普遍をめぐる中世哲学的構図—オブジェクトと普遍論争—」
                           山内志朗(慶應義塾大学)

 普遍論争とは,普遍をめぐる存在論の問題と考えられてきた.プラトン的実在論とアリストテレス的唯名論,スコトゥスの実在論とオッカムの唯名論などと対比図式を設定すると問題の姿が現れてくるようで,なかなか判然と見えてくることはない.
 いや,そもそも普遍とは何なのだろうか.普遍とは事物,概念,名称,名辞,述語,記号,関数,トロープのいずれなのだろう.初めから排除しておかないといけないのは,普遍とは事物や名称ではないということだ.普遍を事物と捉える実在論(実念論)や,普遍を名称と捉える唯名論は,初めから成り立たない理論であり,それらを主張した人物は存在しないと言ってもよいのではないか.ただ,実在論と唯名論という分類は,大雑把な分類としては便利なので,以下でも用いるが,実在論や唯名論ということで共通の理論があるとは考えないでほしい.語り尽くされた観があるが,普遍をめぐる問題の中心が普遍の存在とは別のところにあることは気づかれにくいままだ.
 今回の普遍論争をめぐる分水嶺がどこにあるのかを中世哲学の中に探りたい.スコトゥスの実在論とオッカムの唯名論というように,そこに最大の截断を見出すことは,迷い道に入り込むことになる.
 中世における普遍論の基本的枠組みとして,実在論や唯名論,そして概念論というのが忘れ去られるべき枠組みであるとして,様々な立場がある以上,それぞれを概観し,場合によっては適切な名前をつけるしかない.これは大変な仕事である.ともかくも,問題となるのは,従来の哲学史で,十三世紀の「穏やかな実在論」と言われる立場を分類し,そしてそこにアヴィセンナとアヴェロエスの影響を組み込んだ図式を作る必要がある.そのために,有益なのが,ヨハネス・シャルペ(Johannes Sharpe)の『普遍に関する問題(Quaestio super universalia)』である.
 シャルペは,1360年頃ミュンスター近郊に生まれ,1379年プラハ大学でバチェラーとなり,オックスフォードでその後の学問人生を過ごした思想家である.シャルペの没年は不詳で、1415年以降に亡くなったと推定されるだけである.彼はウィクリフの影響を強く受け,実在論の立場であり,「オックスフォード実在論者(Oxford Realists)」の一人である.イギリスと言えば,オッカムが活躍し,その後のイギリス経験論の系譜を見ても,唯名論の傾向が強いものと考えがちだが,ウィクリフにしろ,シャルペやアリントン(Robert Alyngton)やペンビガル(William Penbygull)などのオックスフォード実在論のように,実在論の流れも強かったのである.
 シャルペは普遍について見解を以下のように分類する.
1)ビュリダン,2)オッカム,3)ペトルス・アウレオリ,4)エギディウス・ロマヌスとアルベルトゥス・マグヌス,5)プラトン,6)ドゥンス・スコトゥス,7)ウォルター・バーレー,8)ウィクリフ,9)自らの見解
 この分類で重要なのは,普遍が実在するかどうかはあまり問題ではないということだ.もちろん,普遍とは名のみのものでもない.
 問題の要となるのは,実はオブジェクト論であると言ってもよいというのが,現在の私の見通しである.オブジェクト論については,中畑正志『魂の変容:心的基礎概念の歴史的構成』(岩波書店,2011 年)という名著がある.そこでの分析と結びつくところも多いが,シャルペの分類で注目したいのは,アウレオリである.ペトルス・アウレオリはドゥンス・スコトゥスとオッカムの中間にあり,初期唯名論者として有名であるが,その唯名論は,志向的存在(esse intentionale),仮現的存在(esse apparens)をめぐるものだった.なぜそのような道筋が現れるのか,一見分かりにくいが,普遍は概念としてあるというのが,古代から近世に足るまで標準的見解なのである.これは唯名論者であろうと実在論者であろうと共通である.そして,普遍が事物としてあると述べた実在論者はほとんど存在しないし(ウィクリフなどは別だが),普遍が名称でしかないと述べる唯名論者も存在しないと言ってよい.
 問題は概念としての普遍がいかなるものかということになる.近世に入り,スアレスは,客象的概念(conceptus objectivus)と形相的概念(conceptus formalis)に分け,普遍の問題も存在一義性の問題も,客象的概念の一性に問題の焦点を見定めた.スアレスは,アヴィセンナからヘンリクス,スコトゥス,アウレオリ,オッカムに至る問題の系譜をかなり正しく整理していると思われる.  普遍論争は,存在論というよりは,半ば認識論の問題なのである.今回の発表では,普遍論争をオブジェクト論として捉え,その基本的流れを整理することを目指したい.