環境倫理における内在的価値:内在的価値の客観性を問う視点から人間の位置づけを問う視点への転換

高江 可奈子(東京大学)

 環境倫理学は、環境破壊や自然破壊が社会問題化し始めた1970年代以降、応用倫理学の一分野として欧米を中心に展開してきた学問領域である。当初は、人間中心主義(anthropocentrism)と非-人間中心主義(non-anthropocentrism)という二項対立図式の下、自然保護の動機づけとして「自然の内在的価値」概念(人間の利益とは独立した自然固有の価値があるという考え)が論じられていたが、徐々に内在的価値の基礎づけ問題へと焦点は移っていった。そこで、1990年代に入ると、理論的問題に終始する議論に対し、「応用」倫理学としての意義が疑問視され始めるようになる。環境問題という喫緊の課題に直面している今、人間中心主義と非-人間中心主義の論争はむしろ問題解決の妨げになっているとの見方が広まり、自然と人間の二項対立を乗り越える新たな枠組みを構築していく動きが出てきたのである。その結果、具体的な事例に着目した「問題解決志向型の事例研究」が注目されるようになり、日本においても現場から環境倫理を立ち上げようとする現場主義に即した試みが模索されることとなる。
 だが、こういった研究は、個別事例ごとの記述にとどまっており、それらを統合する包括的な枠組みを提示するまでには至っていない。この点において、環境倫理学は、問題解決への貢献度としての応用性と学としての理論的(学問的)体系性の板挟み—いわば閉塞状況—にあると言える。このような現状に対し、本発表では、内在的価値を巡る議論に立ち返り、環境倫理の新たな可能性を示すことを試みる。
 本発表の前半ではまず、環境倫理における「内在的価値」論が非-人間中心主義の文脈の中でどのように議論されてきたのかを見ていく。そもそも人間中心主義と非-人間中心主義の争点は、人間以外の存在に対する道徳的考慮を認めるか否かに端を発している。非-人間中心主義論者たちは、自然保護を動機づけるためにも、道徳的考慮の対象を人間以外の存在へと拡張する必要がある、と考えたのだ。そこで、彼らが道徳的考慮の根拠として出してきたのが、「自然の内在的価値」概念だったのである。しかし、どのような対象に内在的価値が備わっているかを巡っては、非-人間中心主義の間でも様々な論争があり、未だに決着がついていない。なかなか一致した見解に至らない中、「内在的価値は人間の主観的基準に基づく価値の反映に過ぎないのだろうか。その場合、非-人間中心主義とは何を意味しているのだろうか」という問いが論じられるようになる。
 そこで、本発表の後半では、内在的価値の客観性を巡るHolmes RolstonとJ. Baird Callicottの論争を取り上げ、環境プラグマティズムによって展開されてきた従来の批判とは異なる形での考察を試みる。具体的にいうと、価値の客観的実在性を巡る論争の根底には、「自然に対して人間をどのように位置づけるのか」という問題が潜んでいることを示すことで、議論の枠組みの再編成を行い、新たな問題設定を提示する。