ヴァルター・ベンヤミンの「感覚的知覚の正常な範囲の外側」における「アウラの凋落」の問題について

秋丸 知貴(日本美術新聞社)

 発表者は、2010年度及び2011年度の哲学若手研究者フォーラムで、ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」概念及び「アウラの凋落」概念を次のように考察した。
 まず、「アウラ」は、同一の時間・空間上に共存する、主体と客体の相互作用により相互に生じる変化、及び相互に宿るその時間的全蓄積と分析できる。また、そうした「アウラ」を生み出す主体と客体の自然な関係、つまり同一の時間・空間上で原物的・直接的・集中的・五感的に相互作用する関係を「アウラ的関係」、その場合の主体の客体に対する自然な知覚を「アウラ的知覚」と定義できる。
 これに対し、主に一九世紀以後、「生的自然の限界からの解放」(ヴェルナー・ゾンバルト)を特徴とする各種の脱自然的な「近代技術」が、この主体と客体の間に介入し、同一の時間・空間上における原物的・直接的・集中的・五感的な相互作用のいずれかの要素を阻害すると、脱自然的な「脱アウラ的関係」が生じ、「脱アウラ的知覚」が発生し、「アウラの凋落」が生起することになる。
 ここで興味深いことは、ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」(1935‐36年)で、「アウラの凋落」をもたらす写真や映画に関して、「撮影機械が現実から獲得することのできる多様な姿の大部分は、感覚的知覚の正常な範囲の外側にある」と述べている問題である。このことは、「脱アウラ的知覚」を「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の知覚と換言できる可能性を示唆する。
この「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の知覚の例としては、まず「近代技術」の内、蒸気機関等の動力技術による事象の高速性や大量性がもたらす「注意散逸」(ベンヤミン)を挙げられる。また、あらゆる「近代技術」による事象の自然的不規則性の克服を始め、写真等の複製技術がもたらす事象の一回的持続性の克服、蒸気鉄道等の移動技術や電信等の伝達技術がもたらす事象の時間的継時性や空間的土着性の克服、高層建築等の建築技術や飛行機等の飛行技術や映画等の映像技術がもたらす視覚の制約性の克服、鉄やガラス等の加工技術がもたらす物の脆弱性や不可塑性や不透明性の克服、ガス灯や電灯等の照明技術がもたらす光量の限界性の克服等も、この「感覚的知覚の正常な範囲の外側」の知覚に含めうる。
 本発表は、こうした「感覚的知覚の正常な範囲の外側」という観点から、改めて「近代技術」がもたらす「アウラの凋落」の諸相をより具体的に考察したい。

【参考文献】
秋丸知貴「ヴァルター・ベンヤミンの『アウラ』概念について」『モノ学・感覚価値研究』第6号、京都大学こころの未来研究センター/モノ学・感覚価値研究会、2012年、131‐138頁(http://waza-sophia.la.coocan.jp/data/mono/nennpou/nennpou63.pdf)。
秋丸知貴「ヴァルター・ベンヤミンの『アウラの凋落』概念について」『哲学の探究』第39号、哲学若手研究者フォーラム、2012年、25‐48頁。