「知覚の哲学:色彩現象を中心にして」
                           村田 純一(東京大学)

 知覚経験は世界のなかの諸事物やその性質を経験する最も直接的な経験であり、世界についての知識を得る最も基本的あり方である。他方で、知覚経験を特徴づけているのは、その対象がなんであるか(「知覚内容」)、のみではなく、その対象がどのように現れているか、という対象の現れ方にかかわる要因である。視覚においてはモノの見え方、聴覚においては対象の聞こえ方、触覚においては対象の感じられ方などが、感覚様相に応じた体験の特有性を示している。また、同じ感覚様相内でも、この現れ方に関する区別は大きな意味をもつ場合がある。例えば、夕日の赤と郵便ポストの赤とは、同じ赤色でも、その現れ方は異なっており、美的価値が問題になる場合などでは、それが顕著である。美しいあらわれ方はそれを味わうこと自身が好まれる。
 だからこそアリストテレスは『形而上学』の最初に以下のように記したのではなかろうか。
 「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感覚知覚への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである。」(アリストテレス『形而上学』980a)
 知覚における「何」にかかわる契機を認知的要因、「いかに」にかかわる契機を感覚的要因と呼ぶとすると、知覚経験の固有性を作っているのは、この両者が切り離せない仕方で結びついている点にある。そして、知覚をめぐる哲学的問題、あるいはまた、心理学的問題は、この二つの要因の関係をどのように考えたらよいのかに関係している。認知的要因を重視し、そこに知識の起源を求めれば、主知主義ないし合理主義的見方が生じるし、感覚的要因を重視し、そこに知識の起源を求めれば、感覚主義や経験主義が生じることになる。
 また、対象の存在論的身分をめぐって、実在と現れをめぐる問題や、第一性質と第二性質の区別の可能性をめぐる問題が生じてくる。さらには、知覚経験に特有な感覚要因はクオリアという名で呼ばれ、意識をめぐるなぞの中核を形成している。こうして、知覚をめぐる問題は、認識論から、存在論、さらには心の哲学に至るまで、伝統的哲学のなかで根本問題の発生場所であり続けてきた。
 現代における知覚をめぐる哲学的議論では、これらに加えて、心理学や認知科学の発展によってもたらされる問題(たとえば、blind sight やchange blindnessなど)も新たに議論の対象となっているが、基本的な問題の構図はそれほど変わっていないように思われる。
 他方で、わたしの乏しい知識にもとづいておおざっぱに概観すると、現代の議論に一定の特色を見出すこともできるのではなかろうか。
 ひとつは、知覚を扱う多くの場合に、知覚を一般的に問題にするのではなく、例えば、視覚、例えば聴覚など、一定の感覚様相をもった知覚を取り上げて、焦点を絞って問題を議論することがなされている点である。そのために、例えば色彩とは何か、あるいは、音とは何か、などが重要な問題として登場することになる。これらの議論は、感覚様相に対応した対象の現れ方に光を当てている点で、広い意味で現象学的観点ということができる。現象学的観点が現代の知覚の哲学であらためて重視されているように思われる。
 第二は、具体的な仕方で感覚様相を問題にし、色彩とは何か、音とは何か、を問題にする場合、哲学者は一時代前のように自らの乏しい思考実験のみで話を済ますことはできなくなっている。これは、思考実験が決定的な限界をもっているためでもあるが、同時に、現代の科学(心理学、生理学、認知科学、など)がさまざまに新しい知見をもたらしており、それを無視できなくなっているためである。自然科学の成果を考慮して哲学問題を考える姿勢はしばしば「自然主義」と呼ばれている。現代の知覚の哲学は自然主義の傾向を強く示すことになる。
 現象学と自然主義、これが現代の知覚の哲学を特徴づけている。
 筆者もこれまで、おもにこうした現代の知覚の哲学の流れに沿った仕方で問題を考えてきた。筆者が重視してきたのは、視覚経験の固有性を形成する色彩現象であり、色彩現象の現象学的分析を試みてきた。同時にその際、導き手となる科学的知見として、J・J・ギブソンの生態学的アプローチを参照してきた。そのうえでその試みを勝手に「生態学的現象学」と呼んできた。以下では、この生態学的現象学の観点から、色彩はどのような存在とみなしうるのか。そして色彩を対象として経験する視覚経験の特徴はどのように理解すればよいのか、こうした点を主題的に考えていきたい。具体的には、色彩と空間の関係をめぐる問題、より具体的には、色の知覚と音の知覚ではその空間性という点で決定的な違いが見出されるのかどうか(色を見る場合と音を聞く場合で、空間定位の仕方は異なるかいなか)などを考えていきたいが、さらには、こうした議論から、クオリアをめぐる意識の問題にどのような教訓を得られるのか、などについても考えていきたい。

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