講演者: 野家啓一(東北大学)
講演タイトル: 哲学は<二流の科学>か?

現代哲学の問題状況を整理するために、「自然主義-反自然主義」および「実在論-反実在論」という二つの座標軸を設定してみよう。自然主義とは、人間の心、行動、道徳などに関する事柄も自然現象の一部であり、基本的には自然科学的方法によって解明可能であるとする立場である。したがって、科学と哲学は連続的であり、哲学の特権性は否定されることになる。これに対して反自然主義は、人間的事象は自然現象には還元できない独自の領域であり、哲学的方法による考察が不可欠であると考える。
他方の実在論とは、物理的世界は人間の認識活動とは独立にアプリオリな構造をもつとする立場である。いわば「神の視点」から眺めた世界と言うことができる。それに対して反実在論は、物理的世界の構造は人間の認識活動、すなわち「人間的視点」や「主張可能性」と不可分であると考える これら二本の座標軸を直交させると、都合四つの象限ができあがり、現代哲学の諸主張はこれら四象限のいずれかに分類することができる。
科学の立脚点は「自然主義・実在論」の象限に位置する。その立場からすれば、人間の心や意識も最終的には脳科学の成果に基づいて解明されるべきものであり、それに比し「哲学者たちは2000年という長い間、ほとんど何も成果を残してこなかった(クリック)」と言われる。つまり、哲学は「二流の科学」にすぎない、というわけである。現代の哲学者の中には、分析哲学者を中心に、この立場に与する者も多い。しかし、「自然主義・実在論」という観点そのものが一つの哲学的立場の選択にほかならず、脳科学の方法的前提の中にもすでに心や意識に関する一定の解釈が入り込んでいる。科学といえども、こうした「立場」や「解釈」から完全に自由になることはできない。今回の発表では、「反自然主義・反実在論」の観点から、哲学は「二流の科学」にすぎないのか、あるいはパトナムの言葉を借りれば「なぜ理性は自然化できないのか」を考えてみたい。